私の「小倉日記」

東京から北九州・小倉へ。転居歴19回の住宅&建築ライター・萩原詩子が綴る、小倉移住の記録。

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歴史

今年は「小倉城自焼(って、いうんですね)」150年。 小倉藩は、第二次長州征伐で長州藩の上陸を受け、城の本丸に自ら火を放ちました。 大政奉還前年の、1866年のことでした。 節目の年をきっかけに、歴史を語り継ぐのは大事。 小倉城では、 8月11日から14日の4日間限定で、
『小倉城プロジェクションマッピング』の画像

二代小倉藩主の細川忠利は、細川忠興とガラシャの間に生まれた三男でした。兄二人も力ある武将だったようですが、長兄忠隆はガラシャの死を巡って廃嫡され次兄興秋は大阪の陣で大阪方についたため、父・忠興に切腹を命じられました。その激烈な忠興も、忠利のことは買ってい
『小倉藩の人々(2)細川忠利』の画像

所用で門司港に行ってきました。九州の鉄道の起点、門司港駅。こういう“ターミナル感”のあるホームって、少なくなりましたよね。門司港といえば“レトロ”で、北九州市内で最も観光地らしい観光地。駅から港にかけて、明治から昭和初期に建てられた近代建築が建ち並びます
『門司港の昭和』の画像

私より1年早く、大阪から移住してきた友人に会いに、行橋市まで行ってきました。 小倉からJRで30分ほど。福岡県東部の、周防灘に面した街です。 行橋駅は、なぜかSF風味。 2002年のグッドデザイン受賞作です。 ガラス面の汚れが目立つのが、ちょっとも
『行橋へ。』の画像

小倉に天守閣を築いた初代小倉藩主は、「利休七哲」のひとり細川忠興、とは前の記事にも書きました。では、このひと、どんな人物かご存じでしょうか?戦国時代好きの歴女にはお馴染みの名前かもしれませんが正直、私はよく知りませんでした。多くの人には「細川忠興」という
『小倉藩の人々(1)細川忠興』の画像

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